「知識人」は、かつてはある意味では、道徳と同義語であって、清貧、正義、知識、教養、権力におもねない、といったことを意味していた。ところが、江沢民の時代になり、党の官界にある役割が出現した。それは「政治的メーキャップ係」だ。文士の正統とは大いに異なり、彼らは政治の舞台で提灯を持ち、人をほめそやす職人で、補佐しているのは聖賢の君子ではなく、鶏鳴狗盜の輩(げすっぽい才能や特技をもっている人)である江沢民の類だ。
小銃や戦車で殺戮を繰り返したあげく、国際社会から制裁と譴責の荒波を受ける中で登場した江沢民は、政治的なドーランを厚ぼったく塗り上げる必要があった。そこで、この文士たちが考え出したのが「三つの代表」だ。彼らは政治上、国運を台無しにしたのみならず、道徳上でも知識人が具えているべき清廉潔白を汚したのである。
今日に至り、中国のいわゆる「専門家学者」はもはや、奥深い正統文化とその行動様式を継承する知識人ではなくなり、その中の絶対多数は、中共の無神論、階級闘争哲学、社会発展史によって洗脳されている。彼らはただ科学技術の専門技術者であるだけで、正統文化である儒佛道の文化を深く研究したこともなければ、それを生活に取り入れたこともない。
今の中共は「知識を尊重し、人材を尊重する」をスローガンとして打ち出し、「党の恩は海のように広い」という演出をし、偽知識人が精一杯、複雑な理論を作り出しては中共統治の合法性、または後を絶たない社会の悲劇の合理性を論証しているにすぎない。
中共は「政治精鋭、経済精鋭、文化精鋭」の強固なトライアングルを作ることに成功したが、それに必要なのは、炭鉱事故で死亡した労働者に、「中国で生まれたからだ」などと平気で言える何祚庥のような「知識人」であった。
また、一部の党文化にひどく侵された知識人は、人としての基本的な良知は持っているものの、憂国憂民の心はなく、報国安民の道で苦しむこともなく、ただ「体制内」の身分だけを争奪し、「体制内の改革」を要求し、ただ「体制内での解決」を求めている。
「体制内での解決」は、まず共産党の臣下であると称することにほかならず、共産党とその党文化が自己に対してコントロールする権限と随意に使用する権利があることを認め、一歩進んで少しばかりの発言権を得ることにしかすぎない。選択の余地のない社会環境の中で、旧ソ連文学と共産党の著作にどっぷりと浸かって成長した人は、自己の成長過程における寝食を惜しみ、それが毒薬であるとも知らず、共産党への理想を捨てることができず、社会のために声を挙げることもなく、中共が万悪の源であるということを人々がはっきり認識できるよう手助けすることもできない。
これらの人が中共に希望を託するやり方は、個人の徳行を用いて中共の醜さを覆い隠していることにほかならず、余命いくばくもない中共の命を延ばしているのである。
(続く)